建築学生が建築業界には就職しない理由。「苦労=愛情・やる気ではないと思う」

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こんにちは!ふむです!本日も「humuhumuBlog~ふむふむブログ~」をご覧頂きありがとうございます。
今回は、今までの学生生活から苦労と愛情、やる気をテーマにお話しようと思います。

苦労することは正義なのか?

私は全くそうは思いません。最近の若者は苦労をしていないと言われることも多いですが、苦労をしないことは賢いことだと思います。

苦労が多いことで、その他の充実した時間を割いてしまうのはアホくさいと思います。何より精神的なコストもすごくかかります。苦労をすることによって、楽しい時間を楽しいと思う力すら残らない人も出てきます。

それなのに、苦労を強いる人たちのマインドは苦労をしたことによって自分が成長したという勘違いにあると思うのです。

例えば、建築学科の世界で言うと1,2年時は手書きが正義で一本一本線を引いて時間をかけて図面を完成させたり、CGよりも模型がより良いものと考えている人がいる事です。建築を創造することが本質なのに、余計な手間を大切にする事が染み付いてしまっているように感じてしまうから将来この業界に行きたく無いと感じました。

そのため、苦労して図面を引く苦労して模型を作ってる事を自慢してくる同じ学科の友人たちをみているとちょっと引いてしまう事もしばしばあります。

苦労=愛情・やる気な風潮に違和感?

図面を手書きやJWWで一本一本の線を引く、模型の端処理に思いを込めながら作業していた時代からすると、3DCADやBIMの容易さが心のこもっていない図面、設計になっている気が建築学科の友人や教員と話していてどうしても感じてしまいます。これが私にとっては気持ち悪くてたまりません。

(JWWとは、PCで一本一本線を描いていく図面作成ソフトです。つまり、ただの手書きがマウスを引っ張る事に置き換わっただけのCAD。建築事務所や小さい建築系の企業は未だにこの古臭いJWWを使っている企業も多いようです。3DCADやBIMが流布してるのJWWを使うのはどうなんでしょう。)

例えばみなさんは、子供のお弁当に冷凍食品は愛情がこもっていないと感じますか?私は十分愛ややる気が込められていると感じます(弁当作ったこと無いけど笑)。冷凍食品でも毎日作ってくれることがありがたいし、それ以外でも普段の家庭生活(別の手法)で愛情を伝える時間も増やせると思います。

楽をするということは、他にいろんなことが出来る時間を増やせる良いことだと考えます。

苦労=愛情・やる気という方程式は間違っています。楽をして、無駄を省き、やるべきことにフォーカスして愛情を注ぐこと・やる気を表現することがこれからの時代なのだと思ってます。

3年夏や秋のインターンを通して建築系の企業で苦労=愛情・やる気が染み付いている印象が拭えず、就活で建築業界から離れる事を決意しました。

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